おはこんばんにちは。今回は『嫌いな人』というテーマに触れます
これをみると、『嫌いな人が嫌いではなくなる』カモ
嫌いな人を避けるべきなのか?
結論です。『何だか嫌だと思う存在は、自分を成長させる可能性の種を持っている』です。何だかややこしいですね。
人はどうしてか分からないけれども、「この人なんか嫌い。」と思う事があります。
例えば、やたら媚び諂う人を見たり、お金にがめつい人を見たりすると無性に目につくんですね。気にしなければいいのに、やたらと気になって仕方なくなるから不思議です。
これを紐解くためには、意識とコンプレックスの関係について考えていく必要があります。
鍵を握るのは、コンプレックス
人間には、意識領域があって、さらに奥に進んだ領域として無意識があります。自分で生活をコントロールしている、と思っていても、実は持っているハンドル(意識領域【自我】)でコントロールできるのは、8、9割ほどしかありません。
意識は安定を求めますが、無意識は、さらなる高みを求めます。
さらなる高みを求めるという事は、今ある安定を崩していく事です。新しいものを取り入れていくという事であって、わざわざ不安定になりにいく危険な行為です。
故に、意識にとって無意識は、危険な存在なんです。
意識は安定を保つために、意識の統制に邪魔なモノを追いやります。
追いやるのであって無くなるわけではありません。見たくないわけですから相当禍々しい感情が彩られたモノになります。
これをコンプレックスといいます(ややこしいんですが、一般的な『顔がコンプレックス』とは訳が違います)。
コンプレックスは、いつの間にやら意識の近くにいて、自分の意図していないところで意識を脅かします。
無意識内に存在して何らかの感情によって結合されている心的内容の集まりが通常の意識活動を妨害する現象を観察し、前者のような心的内容の集合を、感情によって色づけられた複合体とユングは名づけた。これを後には略してコンプレックスと呼ぶようになったのである。ーー(中略)ーーーわれわれが、誰かに対して「虫が好かない」とか、毛嫌いするなどの場合、われわれはその人が自分のコンプレックスを人格化したものではないかと考えてみるとよい。
コンプレックス 河合隼雄
そう。
嫌いな人というのは、自分のコンプレックスを人格化した存在、言い換えれば、自分を保つために目を背けてきた特性を持つ存在なのです。
お金の事はどうでもいいと思っている(意識がある)人ほど、どこかでお金の事を第一に考えて(コンプレックスを持って)いるのです。だから、お金を第一に考える人が何だか気に食わなくなります。
「何だか嫌」というのは、コンプレックスが揺さぶられているからともいえるのでないでしょうか。
まとめ
まとめです。『成長の種を持っているので、何だか嫌だと思う存在でも勇気を持って関わってみよう』という話です。
今回はなかなか分かりにくい内容でしたね。またどこかで記載できたらと思います。
今日はここまでにします。ここまで読んでいただいてありがとうございました!!!!