おはこんばんにちは。タイコです。
この記事を読むと、『血の轍の魅力が少しばかり分かる』手助けになります。
*作品のネタバレも出てくるのでその点大丈夫な方はお進みください。
タイトルは何を示すのか
結論です。『血の轍は、母親と子どもの関係を禍々しく美しく描いた漫画であり、依存と自立の過程を示している』ように思います。
血の轍ってなんか不思議なタイトルだと思いませんか。意味深っていうか・・。そこで、それぞれの語句を調べてみました。
血:血管から出てくる赤い液体。動物の体内をめぐる主要な体液。全身の細胞に栄養分や酸素を運搬して二酸化炭素や老廃物を運び出すための媒体。
人間の身体はほぼ水で出来ているわけで、血液がないと生きていけないです。しかも、全身に栄養を送ったりいらないものを取り除いたりしているわけですから、血は、生命といってもいいのではないでしょうか。
続いて、轍。
轍:車が通った輪の跡。前人の行った後。先例の通りのやり方。
雪が降るなどした路面が凍結した後にできる車の跡ですね。轍にハマった事がある方はよく分かると思うのですが、ハンドルをとられて自分でコントロールする事ができません。かなり怖いです。
これら2つの意味が何を意味しているのかというと、血は血縁(母親との)関係を、轍は通った跡、を示しているのではないでしょうか。
つまり、タイトルからも推測するに、この漫画が示すところは、母親と子どもの依存と自立の過程を示しているように思います。
読んでみての感想&考察
作品の紹介を簡単にしていきますと、この作品は最初から、母親と子どもの関係を描いています。
母親は、いわゆる毒親であり、子どもを支配していきます。
しかもこの支配の仕方が巧みです。
直接「従え」ということはなく、例えば、朝ごはんを聞く時に「肉まんかあんまんか」の選択肢を与え、どちらかを選ぶのかを答えさせます。
自分で選んでいるように思わせておいて、どちらかしか選ぶ事ができない強制力が働いています。何気ない日常会話かもしれませんが、こういった隅々にそれが描かれています。
主人公の男の子は、選ばされている事や友達とろくに遊べない事にも気づいていますが、母親から遠ざかるのを恐れてか反抗することはあまりありません。
少女の登場によって、自立の道を歩こうともするのですが、強力な母なるもの(現実の母、内なる母親)から逃れる事ができないのです。
人間関係のはじまりは、母と子との関係である。しかし、これは「関係」と呼べるかどうか疑問に思われるほど、一方的な関係である。ー(中略)ー母親は、子どもを自分の一部として、抱きしめて育てていく事になる、このような母子の一体感が、わが国の家族関係のみで無く、人間関係の根本に存在していると思われる。
家族関係を考える 河合隼雄
この漫画の素晴らしさは、そういった隅々の表現もありますが、目線や風景画が特徴的なところです。
(あくまで私見ですが)役職柄、絵を見る事もありますが、病的に重い方(いわゆる精神病圏)と似ている絵があったりします。
主人公の男の子の世界がどれだけ統合できないか、それが見事に絵によって表現されています。作者の表現力には圧巻です。
血の轍は、現在絶賛 ビッグスペリオールにて連載されています。単行本の最新巻は、12巻。
長く険しい道が続きますが、それが自立と依存には必要なものであるように思います。今後の鍵を握るのは、少女。少女がどのように主人公と関わっていくのか楽しみです。
これを見ると、いかに母親という存在が子どもにとって影響が大きいのか学ぶ事ができます。親との関係を学びたい方には特にオススメです。
まとめ
まとめです。『血の轍は、母親と子どもの関係を禍々しく美しく描いた漫画であり、依存と自立の過程を示しているように思います。』という話です。
今日はここまでにします。ここまで読んでいただいてありがとうございました!!!!