おはこんばんにちは。タイコです。
「お金があれば幸せなのに」
「嫌味をいうAがいなければ自由にできるのに」
こんな風に多くの人は、「より良い自分」を求めます。これは誰もが持つ欲求だといえるでしょう。ただ、「幸せ」というのは人それぞれ違うし、そもそも「幸せ」は、形の無いモノなので、何なのか漠然としやすいところです。
この記事では、『心理学×進撃の巨人を掛け合わせ、「幸せ」「自由」へのヒント』を紹介していきます。
*作品のネタバレを含みますので、読み進める場合はご注意ください。
生き甲斐の図〜幸せの4つの指標〜
人は成長とともに自分の意思とは関係なく、「自分って一体何だろう」と考えるようになります。どんな人間でありたいのか、もっと具体的にいえば、「どんな仕事をしたいのか」等を考えるようになります。
ある年齢に達すると就職し、結婚、子育てと進んでいき、そういった自分を確立していきます。しかし、より時代は進み、多様化する文化の中で、やるべき事が決まらない人・・すなわち、「自分って一体何だろう」という自分なりの答えが見つからない人が多くなってきているように思います。
青年期のアイデンティティの確立は、人間の発達過程において欠かすことができない役割を果たしています。しかし、最近では成人してもアンデンティティの確立をなし得ず、親からも自立できない人が増えてきています。日本の精神分析学者小此木哲吾(1930〜2003)は、こうした人々をモラトリアム人間と名付けました。モラトリアムとは、「しばらくの間やめること」を意味します。
引用文献:面白いほどよくわかる!心理学の本 渋谷昌三
アドラーの心理学は、「幸せとは何か」「生きるとは何か」などを取り上げており、心理学でありながら哲学でもあります。
彼は、多くの若者と対話を通してその理論を確立していきました。すなわち、「モラトリアム人間」と呼ばれる人達とも多くの会話してきているように思われます。故に、理論から先立っているのではなく、実践から導き出されたものがアドラーの心理学と言えるでしょう。彼の心理学は多くの人の「わたし」の悩みに寄りそうのが前提になっているのです。
では、仕事に就いていれば、家族がいれば、「幸せ」といえるでしょうか。「生き甲斐の図(引用元:八木仁平公式サイト)」を見てください。
幸福を考える心理学(ポジティブ心理学)においては、「自分が好きな事や関心が高い事」に熱中している時に幸福度が上がるとされます。つまり、「自分の強みや得意な事」は幸福度を上げる可能性が高いのです。
そして、お金に関しては、できる事が多くなります。お金があればできる事の幅が広がるのは、周知される事実でしょう。
この図のように重なるところが多くなれば、「幸福度」は上がるように思います。しかし、単体ではその幸福度は十分とはいえないでしょう。
すなわち、先ほどの質問(お金があれば、家族がいれば幸せ)の答えは、「NO」になります。
アドラー心理学の「幸せ」
では、アドラー心理学では、「何が幸せ」なのでしょうか。
それは、「自分の信じる最善の道を歩む事」です。
アドラー心理学の考え方として「今どうかが大切であって、過去や未来は関係がない」としています。言い換えれば、「因果論ではなく目的論で考えるべき」という事になります。
因果論 | 目的論 |
「子どもや仕事があるから○○できない」 「嫌味を言われるからAさんとは仲良くできない」 | 「○しない理由を作る為に、家族や仕事を理由にしている」 「Aさんと仲良くしない為に、嫌味を理由にしている」 |
原因論を用いるのは、「何かあるからできない」とする事です。これをアドラーは、「人生の嘘」といっています。
つまりは、直球の言葉でいえば、「何かと理由をつけてやろうとしていないだけだ」と、原因論をアドラーは否定しているのです(厳しい言葉ですね・・)。
よく考えてみれば、現実というのは酷なもので、そればかり見ていては生きていけません。だから、人はどうにかこうにか生きていく為に理由を見つけているのです。つまり、「自分を守る為に理由をつけて」生きています。
そう考えると、アドラーの見解は理に叶っているように思います。
しかし、理由づけは、鎖になります。すなわち、「【わたし】が【わたし】であれない」・・・「幸福度を下げている」という事に繋がるのです。
ちなみに、私は、「人生の嘘」が必要な時もあると思っています。つまり、アドラーの考えも含めると人生が豊かにはなるものの、それが全てとは考えません。
そして、さらに厳しいのは、「幸福度を下げている選択をしているのは自身である」という見解になります。すなわち、「不幸を選んでいるのは自分」とアドラーは捉えています。
これは逆をいえば、「自分で幸せを選べる」という事です。「過去は変えられないし、未来は確かなものではない。でも今ここを選択する事ができる」のです。すなわち、「幸せは選択する事ができる」という事になります。
アドラーは、「人は今この瞬間から幸せになる事ができる」と断言しているぐらいです。
進撃の巨人から見る「幸福」
超絶簡単に進撃の巨人のあらすじをまとめると、「壁内人類と壁外人類の存亡をかけた戦い」です。エレン(主人公)は、壁内人類であり、自由を追い求め果てしなく進んでいきます。
彼は、壁内人類を救う為に、平和的な解決は選択しません。壁内人類は平和的な解決を望んでいるわけですが、それでも彼は、壁内人類を救う為に多くの人を犠牲にする道を選択したのです。
当然の如く、彼は世界を滅ぼす「ならず者」として壁内人類からも壁外人類からも狙われます。しかし、彼は壁内人類の為に最善の策を尽くそうとします。
すなわち、「他者の評価など気にせず他人から嫌われる事を恐れずに自分の生き方を貫く事にした」のです。
アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放される事を求め、対人関係からの自由を求めている。(中略)自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストは、他者から嫌われることなのです。
引用元:嫌われる勇気 岸見一郎 古賀史健
エレンは、自由を求めてそれを疎外しようとする存在に激しく抵抗していくわけですが、自由を求めていく中で、他人の思惑に乗るふりをする場面があります。
しかし、それは他人の人生であって自分の人生ではありません。他人の人生のレールに乗ろうとする事は自分の人生を歩まない理由づけであって、「人生の嘘」になります。つまり、不自由なわけで、エレンはそれを拒んだのです。「自分の人生を自分で選択した」わけです。
たとえ「いま、ここ」で生を終えたとしても、それは幸福と呼ぶべきものではありません。20歳で終わった生も、いずれ完結した生であり、幸福なる生なのです。(中略)アドラーは「一般的な人生の意味はない」と語ったあと、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。
引用元:嫌われる勇気 岸見一郎 古賀史健
例え、自分が破滅する人生を送ると分かったとしても、エレンは、自分ができる最善の生を・・「いま、ここ」を生きる道を選びました。つまり、彼は「幸福だったのだ」と私は思います。
すなわち、幸福とは、「自分の信じる最善の道を歩む事」です。
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とはいうものの、大多数の犠牲はあまりに極端であるので、もう少し平和的な解決ができなかったものなのか、と思うのも正直なところ。
まとめ
今回は、『進撃の巨人×アドラー心理学から見る幸福論』を紹介しました。幸せの価値基準はそれぞれありますが、今回の記事が少しでも刺激になれば幸いです。
進撃の巨人に関してもう一方の見方をすると、壁外人類が壁内人類を「悪魔」として滅ぼそうとしているのはあまりに影を背負わせすぎているように思えます。それによる影の反逆を受けたともいえそうです。以下の記事では、その影について書いていますので、是非、併せて読んでみてください。