「塔の上のラプンツェル」を心理学的な視点から見る記事

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 おはこんばんにちは。タイコです。

 この記事は『作品を通して心の機能について学ぶ機会』になります。

目次

自我と自己の世界

 結論です。『人の心はジレンマがあるようにできている。一定方向づけるために、相反する心に一応の白黒をつけるが、上手くいかない場合に心の病にかかりやすることも多い』です。

 以前の記事で心は白黒つけられないことについて触れましたが、今回は作品を通して見てみたいと思います。

*ネタバレ含みますので、その点大丈夫な方のみお進みください。

 「塔の上のラプンツェル」は2010年に公開された作品です。ラプンツェルの声優をされているのは中川翔子さんですが、後々その事を知って驚いたのを覚えています。本人の声だと思えないぐらい乗り移っている感じがしたので。

 大まかな内容は、【ずっと塔で過ごしているラプンツェル。魔女のような母親に塔から出る事を禁じられているので、ずっと塔の中にいるわけですが、そこに流れ者が現れた事をキッカケに、一緒に塔を出ていくことになります。そして、冒険を経た後に目的地の城に辿り着き、新しい自分を見出す物語】です。

 自我と自己に関しては以前触れましたが、この作品にもそれが現れているように思います。

 つまり、「自我は塔、自己は城などの世界全てを示している(便宜上、「城などの世界全て」、としていますが、実際は城を含めた全てが自己)」ように思うのです。

 塔の中にいた方が明らかに安全です。そのままの方がいいはずだけれども、危険を冒してでも新世界を目指している姿は、心の仕組みを見事に表しているといえるでしょう。

 さらに深い世界の話をするならば、ユージーン(流れ者)は、それを促進する役割を果たしています。つまり、トリックスター的な役割を担っているわけです。この役割は興味深いですが、何か革命を起こす時に、必ず現れます。希望の導き手かもしれないし、魔の手かもしれないし、その存在は、非常に奇妙です。トリックスターは、アニメだけでの話ではなく気づかないだけで私達の生活の中で度々姿を表しています。

トリックスターが、いたずらやトリックなどによって日常の秩序ある世界を破壊し、それによって存在の全体性を回復する

影の現象学 河合隼雄 氏

 

背反する力

 話が横道にそれましたが、ラプンツェルは、塔から出てすぐに、「母親に悪い事をした。自分は悪いやつだ」「やっと塔から出る事ができた」などと、非常に背反する心に翻弄されています。コミカルに表現されているため、クスリと笑ってしまいますが、これは、人の心をよく示しているといえます。

 

 つまり、保守と革命といったように、私たちの心は、背反するモノを持つようになっています

https://goshtone.com/kokoro/34/

 よくよく考えてみれば、どちらか一方でキッパリ決まるのならば私たちは悩む事など無いでしょう。仕事が嫌になれば辞めるし、相手が嫌いなら別れるし。でも、人はそうはしません。しません、というか早々できないのです。それは、『背反する気持ちを持ち合わせているから』です

 しかし、葛藤ばかりしていると、私たちは何もできません。だから、反する気持ちもありながらもう一方の気持ちへ舵をとる事で生きています。要は、決断をしているわけです。

 自分が選択した方に満足していたとしても、気づかないだけで、反する心というのは内在しています(ただし、片方に目をつぶる事で適応していく事は必ずしも悪とは限りません)。

 それにも関わらず、もう一方の部分が無視されてあまりにも偏りすぎると(もしくは、両方が同程度に大きく長くそれを持ち続けると)、心の病気に陥ることになります。つまり、神経症に陥ります

 しかし、こういった背反する気持ちを持ちながらでしか人は生きていけません。人間はそうなっている、のです。

 「塔の上のラプンツェル」のように、それは非常に苦難な道のりですが、この葛藤を乗り越えた先に、新たな自分が待っています。

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まとめ

 まとめです。『人の心はジレンマがあるようにできている。一定方向づけるために、相反する心に一応の白黒をつけるが、上手くいかない場合に心の病にかかりやすることも多い』という話です。

 

 今日はここまでにします。ここまで読んでいただいてありがとうございました!!!!

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