おはこんばんにちは。タイコです。
この記事は、『責任を負うことの意味を知る』手がかりになります。
責任 とは
結論です。『責任とは、自分や他人の要求に応える力。責任力を問われる人は、受け皿や軸である。受け皿がなければ水が溢れるが如く、集団の力も発揮されずに成り立たない。』です
責任、と聞くと、重々しい気持ちになりませんか。できれば、背負いたくない人の方が多いのではないでしょうか。
しかし、以前、依存と自立の記事を書きましたが(⬇︎)、自由の裏打ちにも責任が存在します。
https://goshtone.com/kokoro/114/
Wikipediaによると、「責任とは、社会的に見て自由があることに伴って発生する概念である。自由な行為・選択があることに伴い、それに応じた責任が発生する。」とされています(https://ja.wikipedia.org/wiki/責任)。
他に、英語では、responsibility。response+abilityに分解して考える事ができるようです。
responseには、反応や返事といった意味がありますが、一体何に答えようとしているのか考えてみると面白いです。
やはり、英語の意味からも、『自分や他人(家族などのより小さい単位から)の要求に応える』といえるのではないでしょうか。
では、abilityはどうでしょう?
abilityは、「能力」ですが、「才能」というのもあるので、遺伝や器質的といった個人の努力を超えた超えたモノもあるかもしれません。しかし、「技量」も含まれているため、責任は、鍛えていく事ができるように思います。
つまり、責任とは、『自分や他人(家族から大人数の範囲)の要求に応える力』といえそうです。
責任を負う人が必要なのはなぜか
先に記した力は、『責任力』ともいえそうです。では、なぜこのように責任力を発揮する人が必要なのでしょうか。
日本の社会では、ー(中略)ー本当は自分の力でできたことでも、皆さんのおかげで・・・といったりする。このため、責任の所在が不鮮明になってくるのだが、実は、がっちりと責任を持っている人がいるー(中略)ーもしも失敗したときは自分は責任を負う、とはっきりと決意して動いている人物がいるので、その集団はうまく動くことができるのである。何かミスが生じたり、うまくゆかなかったりすると、日本的な責任のあいまいさの中に逃げこんでしまう。
働きざかりの心理学 河合隼雄 氏
日本人は、あいまいな事が好きだと私は思う。それが美しく感じられる事もあるが、恐ろしく感じられる事もある。働いていると実によく分かりますが、”この不安は何なのかモヤモヤが止まらないどうしたらいいのか”ということに関して答えを求めて精神科を受診される方が多いです。「診断(一つの答え)を受けて安心しました」という方も一定数いらっしゃる。
脱線しましたが、責任力というのも同じで、形の無いあいまいな力です。でも、そこに、確かにある大切な力です。
集団において、責任力を問われる人は、受け皿もしくは軸、潤滑油ともいえそうです。やはりそういった軸がなければ、集団は成り立たないし、集団としての力を遺憾なく発揮できないように思います。指揮者(もしくはリズムキープをする人)がいなければ、演奏は成り立たない訳です。
まとめ
まとめです。『責任とは、自分や他人の要求に応える力。責任力を問われる人は、受け皿や軸である。受け皿がなければ水が溢れるが如く、集団の力も発揮されずに成り立たない。』という話です。
今日はここまでにします。ここまで読んでいただいてありがとうございました!!!!