心は一体どこにあって一体何なのかを考える記事

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おはこんばんにちは。今回は『心はどこにあるのか』というテーマに触れます

 これをみると、『心への見方が広がっていく』カモ

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心の在り処

 結論です。『心は人のイメージの産物』です。

 かつてデカルトは、【我思う故に我あり】と、心身二元論を挙げました。

人間を考える時に、心と身体は分けて考える事もできるのを提唱したのですね。

 ただ、別物でありながらも、一体としてもあって、何とも人間は不思議な構造をしています。

 普段、様々な方のお話を伺っていると、「心と身体と頭は分かっているんですけど。」「頭ではわかっているんですけど。身体と心が・・・」といわれる方が多いです。

 心と身体の二元論ではなく、頭を分化した三元論的な捉え方をされている方もいるようです。

 他にも、心臓を心としたり、頭を心としたりなど、古来から心という存在がどこにあるのかは議論されてきました。

 

 ただ、ここを突き詰めていったとしても、正解はないように思います。

二元論が正しいのか三元論が正しいのか、はたまた、魂という視点を加えると、どう捉えるられるかさらに議論が膨らんでいきそうです。

 あるかないか証明しきれないのにどうしてこんなに議論が生まれるのでしょうか。

 それは、心は確かにあるから、ですね。

 心はどんな形をしているでしょうか。丸?三角?四角?其々思うところはあると思います。

しかし、ハート型は誰もが思い浮かべやすい心の形ではないでしょうか。

 こういった共通した形を思い浮かべる事ができるのは、心というものを確かにあなたも大多数の人感じているからでしょう。

 妖怪がいるかも知れない、猫が人のように二足歩行で生活している世界があるかも知れない・・・など、そんな風に想像を膨らませるように、人は、確かにそこに心があることを感じて、心というのを形にしてきたのです。

 そう。心は、人がイメージして作り上げた産物なのです。

 だから形もないし、解剖してもレントゲンを撮っても、心というものが人の身体から出てくることは、今のところありません。

 先に挙げたように、どこにあってもいいのです。

ただ、胸の中心なり、ハート型なり人が共通して持っている心のイメージというのは、あるようです。

 心という機能がどのように働いているのか、可能性は未知数ですが、これからも心理学が目指すところは、心(その人)を知ろうとしていく

というのは、間違い無いでしょう。

  

まとめ

まとめです。『心は、イメージの産物で、確かにそこにある』という話です。

 今日はここまでにします。ここまで読んでいただいてありがとうございました!!!!

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